モーツァルトのK.314には、ニ長調のフルート協奏曲第2番とハ長調のオーボエ協奏曲があります。この2つの作品は、ソロパート、伴奏パートのごく一部を除くと、調の違い以外はほとんど同じです。モーツァルトにオーボエ協奏曲があったことはモーツァルトの書簡からわかっていましたが、具体的な楽譜は見つかっていませんでした。そのため、旧モーツァルト全集(MA)ではフルート協奏曲しかありません。しかし、1920年にオーボエ協奏曲のパート譜の筆写譜が発見され、ハ長調のオーボエ協奏曲が新モーツァルト全集(NMA)に掲載されることになりました。
この2曲はいずれも、初期の演奏などについての詳しい情報がありませんが、総合的に判断すると、次のような経緯になります:
1777年ころマンハイム=パリ旅行の前、ザルツブルクを訪問していたベルガモ出身のオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルナンデスのために作曲し、その後マンハイムに到着した時点で、同地に滞在していたフルートのアマチュア愛好家フェルディナン・ド・ジャンの依頼でフルート協奏曲を作曲した際、1曲オリジナルに作曲したが(第1番)、もう一つについては、オーボエ協奏曲を移調したものに少し手を加えたものにした(第2番)。それを知った依頼者からは、報酬を半減された。
モーツァルトと父との往復書簡を検討すると、上にあげた経緯はかなり確からしく思われます。
つまり、原曲はハ長調のオーボエ協奏曲であって、それを長二度移調したものに少し手直しを加えたものがニ長調のフルート協奏曲第2番ということになります。
移調の際にどのようなことが生じたのか、76〜77小節の伴奏第1オーボエパートで見てみましょう。
一番下の楽譜が、オーボエ協奏曲のオーケストラのオーボエ1です。これを単純にニ長調に長二度あげると、真ん中の楽譜になります。ここで演奏上の問題になるのが、ピンクで示したDisとEの2つの音です。この2つの音は、普通のオーボエ奏者には演奏できない高さであると思われます。
管楽器で演奏できる最高音域は、同じ楽器であっても演奏者の技量により少し違いがあります。
その音域の上限についてまとめたのが下の図です。
現代のオーボエでは、GまたはAまでが一般に演奏限界とされていますが、モーツァルト時代には、D音が一般奏者の演奏できる最高音と理解されていたようです。これは多くの作品で、高音限界がDであることからわかります。
ちなみに、モーツァルトの時代に、オーボエのヴィルトゥオーゾとして名を馳せた人にルートヴィヒ・アウグスト・ルブラン(Ludwig August Lebrun)がいます。彼は演奏だけでなく、作曲もしており、その中にオーボエ協奏曲が6曲あります。その中で楽譜を入手できたものから、オーボエソロの最高音を探して見ましたところ、一般の演奏者の最高音からさらに三度高いFまで書かれていました。
ここで、もう一度、モーツァルトの楽譜に戻ると、真ん中の段に示した単純に移調しただけの楽譜では、名手なら演奏可能だが一般のオーボエ奏者には演奏できない範囲の高さの音が生じることになります。
管弦楽団のオーボエ奏者にそのような音域の演奏を求めることはできませんので、一番上にあるような途中からオクターブ下げるように実際のフルート協奏曲の楽譜はなっています。
つまり、オーボエ協奏曲の原曲があって、それを長二度上げると、伴奏オーボエに一部演奏できない音が出てくるので、オクターブ下げる手直しをしたという作曲の経緯が浮き彫りにされたことになります。このようなオクターブ下げの処理は数カ所で行われています。いずれも、音域の制約を考えなければ、オクターブ下げないほうが自然な流れの箇所です。
この76〜77小節では、オクターブ下げたことで、ちょっとおかしいことが生じました。それは、第二オーボエのほうが第一オーボエよりも高い音を奏する部分が生じたことです。モーツァルトでもハイドンでも、基本は、第一楽器のほうが第二楽器よりも高音を奏します。ごく一部に音の高さが逆転する場合もありますが、ここの高さの入れ替えは少し不自然に感じます。
さて、一般のオーボエ奏者の最高音はDまでだと書きましたが、いろいろな楽譜を検討してみますと、例外がありました。
時期がとても近い作品である「パリ」交響曲K.297ニ長調では、第一オーボエに1カ所だけEの音が使われています。
また、ハイドンの交響曲第100番「軍隊」ト長調にはE音が、第102番変ホ長調にはEs音が使われています。
モーツァルトもハイドンも作曲の際に演奏する団体の構成や技量を考慮しながら作曲していますので、当時有数の交響楽団が揃っていたパリやロンドンでは、腕の良いオーボエ奏者がいたのでしょう。
最後に、モーツァルトがオーボエ奏者ジュゼッペ・フェルナンデスのために作曲したというのが本当であれば、ジュゼッペ・フェルナンデスは、他のオーボエ奏者よりも高い音を出すことを売り物にしていた奏者ではなかったと推定することができます。オーボエ協奏曲のオーボエの最高音が、ソロと伴奏ともに、その当時の一般のオーボエ奏者が演奏できる限界のD音だからです。
それから、ハ長調のオーボエ協奏曲をフルート協奏曲にするのになぜ長二度あげたのかということについて疑問に思いますが、先ほど紹介したルブランの協奏曲に、同じ曲をフルート独奏用とオーボエ独奏用にしたものが2組あり、いずれもフルート協奏曲のほうが長二度高くなっています。つまり、オーボエソロとフルートソロで同じ輝きなどを表現するには、フルート曲では長二度高いほうが良いとモーツァルトやその当時の作曲家が見なしていたものと考えられます。
現代のオーボエでは、オクターブ下げをしなくても交響楽団で十分演奏できる音高なのですから、フルート協奏曲のオーボエパートでは、オクターブ下げをなくす演奏というのが、むしろモーツァルトのイメージした音楽に近いのかも知れません。