2014年6月14日土曜日

奈良の傳統御菓子處 おくた

葩餅(はなびら餅)、椿餅、ちまきと季節のお菓子を楽しんでいるうちに、水無月の季節となりました。

おくたの水無月

おくたの夏は マンゴウの水ようかんがおすすめ。

おくたのマンゴウ水ようかん


そろそろ終わりかもしれませんが、さくらんぼうの寒天寄せも涼を呼びます。
おくたのさくらんぼうの寒天寄せ

2014年6月7日土曜日

FoundryのケーキとB.Y.O. 【状況変化による加筆】

大阪のあべのハルカスにFoundry(ファウンドリー)が出店しています。厳選したフルーツを素材にとてもバランスの良いケーキを折々に楽しめます。

5月は柑橘系とマンゴーのオレンジ色がベースだったようです。

まずは、カラマンダリンのヴェリーヌ

Foundry カラマンダリンのヴェリーヌ

カラマンダリンとグレープフルーツのバランスが、とても爽やかでした。


Foundry カラマンダリンのヴェリーヌ(クローズアップ)

ナパージュにコーティングされたカラマンダリンがとても美味しそうに見えます。


もう一つは、北海道マスカルポーネチーズとヴィーナス・マンゴーのヴェリーヌ

 
Foundry 北海道マスカルポーネチーズとヴィーナス・マンゴーのヴェリーヌ
こちらもヴィーナス・マンゴーのみずみずしさが保たれています。

 
Foundry 北海道マスカルポーネチーズとヴィーナス・マンゴーのヴェリーヌ
ヴェリーヌとは、もともとは脚のないガラス製の小さな容器(Verrine)のことのようで、それに盛りつけられる料理やデザートも同じ名前で呼ばれるようになったとのこと。
その特徴は、液体あるいは固形状の食材を層状に盛り付けることで、味の変化を楽しめることのようです。下層、中間層、上層の3層構造がもともとのコンセプトのようで、ここに紹介した2つのケーキも3層に分かれています。重要なのは中間層とのことですが、フルーツ好きの私としては、どうしても上層のフルーツに関心が集中してしまいます。これからは、全部の層に注意を払って食べるようにします。

ところで、北海道マスカルポーネチーズとヴィーナス・マンゴーのヴェリーヌの写真でわかるように、ケーキが少しくたびれています。持ち帰るまでにストレスがかかるからです。

美味しそうなケーキなのに、持って帰るまでに壊れてしまわないかしらという心配は常にあります。そんな時のために、あべのハルカスではB.Y.O. というシステムを提供してくださっています。B.Y.O.とはBring Your Ownのことで、
店内のカフェB.Y.O.CAFE by HAMAYAに購入したケーキや和菓子を持ち込んで食べることのできるものです。持ち込めるものは、店内のB.Y.O.の掲示のある店舗のものに限定されます。Foundry(ファウンドリー)のケーキは持ち込み可ですし、目の前にありますので、とても便利です。Foundryでケーキを買い、B.Y.O.CAFE by HAMAYAに持ち込んでコーヒーか紅茶を注文して商品を渡せば、お皿に乗せ、スプーンを添えて出してくれます。とてもフレッシュに味わえます。

B.Y.O.はもともと、酒類持ち込みの仕組みであって、日本でも酒類に関しては採用しているレストランがあるようです。もともとは、オーストラリアのレストランで、酒類販売の認可がなかなか得られないため、酒類を客が持ち込むことでしのいだのが始まりのようです。


ケーキのB.Y.O.はとても素晴らしいアイデアです。他のデパートでもやって欲しい仕組みです。

【追加情報】
あべのハルカスでのケーキのB.Y.O.の仕組みは廃止されたようです。
確認ししだい加筆します。

ウィーン古典派の弦楽四重奏:ハイドンとモーツァルト

ハイドンは、フュルンベルク男爵の要請で作曲した逸話を引き合いにだして、「弦楽四重奏曲を“発明”したのは自分である」と語っています。自らのことをあまり押し出さない印象のあるハイドンにしては、強い表現です。つまり、ハイドンは、その場に居合わせたヴァイオリン2丁とヴィオラ、チェロの4人の演奏者で合奏できる作品を手がけたことをもって、弦楽四重奏曲の誕生を宣言しました。様々な情報を総合すると、1757年頃のことになります。
しかし、弦楽四重奏曲の創始者をハイドンに求めるのには、異論があると思います。弦楽四重奏曲というジャンルを、ハイドン以前にすでに複数の作曲家が試みているからです。A・スカルラッティを始めとするイタリアの複数の作曲家がチェンバロ伴奏を持たない四重奏曲を作曲しており、中でもサンマルティーニは、ドイツ語圏の作曲家にも影響を及ぼしたという点で重要です。その中には若いモーツァルトも含まれていました。
ですから、弦楽四重奏曲は、一人の作曲家にルーツがあるというよりも、バロック末期から前古典派にかけて、複数の作曲家によって同時多発的に形成されたと考えるのが適切でしょう。
しかし、創世記の経緯がどうであれ、私たちが現在持っている「弦楽四重奏曲」というもののイメージから考えれば、ハイドンが古典派時代の弦楽四重奏曲の形成と深化に大きく寄与したという点で、彼の貢献には多大なものがあります。その意味では、交響曲のみならず「弦楽四重奏曲の父ハイドン」とも呼ぶにふさわしいものです。同時に、モーツァルトの弦楽四重奏曲も重要な意義を持っています。
そこで、ハイドンとモーツァルトに焦点を絞ってウィーン古典派の弦楽四重奏曲の流れをまとめてみます。

ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲の流れ


ハイドンは当初、ディヴェルティメントを弦楽四重奏曲の作品構成の基礎としていたようです。初期の作品群では、2つのメヌエット楽章を持つ5楽章構成にしていたことから推定されます。その後作品91771年;6曲)で4楽章構成になり、作品201772年;6曲)では、対位法や変奏曲形式の導入など作曲技巧上の様々な工夫を盛り込み、ハイドンの弦楽四重奏曲の作風の確立と一つの頂点を達成しました。
一方、モーツァルトが弦楽四重奏曲の最初の作品(K.80)を作曲したのは、1770年(14歳)、第1回イタリア旅行の途上のローディの宿屋においてです。さらにK.155からK.160までの6曲が、「ミラノ四重奏曲」と呼ばれるように、翌年の第2回イタリア旅行中に作曲されました。この間の作曲にあたっては、前述したサンマルティーニを始めとするイタリア音楽、具体的にはシンフォニアからの影響が強く感じられます。楽章構成もこの6曲では「イタリア・スタイル」の3楽章構成になっています。

このように、弦楽四重奏曲に至る道筋において、ハイドンはディヴェルティメントから、モーツァルトはイタリアのシンフォニアから出発したと考えられます。そして、ハイドンの弦楽四重奏曲の高みに至った作品331781年;6曲)に刺激を受け、モーツァルトが「ハイドン四重奏曲」(ハイドンセット)を作曲することで、両者の流れが一つに合流したものと考えられます。その後両者は、自らの作風を高めながら、古典派の弦楽四重奏曲をさらに発展させて行きました。

SonyノイズキャンセリングヘッドホンWH-1000XM4のトンネルボコッ大幅改善

 SonyノイズキャンセリングヘッドホンWH-1000XM4では、新幹線でのトンネル出入りの際のボコッが、WH-1000XM3と比較して大幅に減少しているようです。 山陽新幹線・九州新幹線ではトンネルが多いため、高速でトンネルに入ったり出たりすると、車内の気圧が急激に変動するため...