視力が低下したJ.S.バッハは、イギリス人眼科医ジョン・テーラーJohn Taylor
(1703–1772)の手術を受け、経過が思わしくなく死に至りました(1750年)。この同じジョン・テーラーが1758年の夏、ヘンデルの眼の手術を行い、同じく失敗が遠因で死亡しています。このジョン・テーラーという人物は、若いころには確かに眼科医としての実力はあったようですが、後になって自分で「高名な眼科医」と名乗って欧州各地で手術をしては早々に雲隠れするというスタイルをとっていたようです。ちょっと結膜を切開して、「7日間眼帯をつけたままでいなさい」と指示しました。7日後に患者が失敗に気が付いたころには、本人ははるか遠くに逃げていたようです。
実は、この水上交通に関して、気になってきたことがもう一つありました。それは、昔みた映画「わが命つきるとも」の16世紀のトマス・モアの半生を描いた作品の中で、トマス・モアが自宅に帰るのにボートを使っており、川辺に面した居館に帰り着いたシーンを記憶していたことでした。そこでもしやと思い、トマス・モアの居館の所在地を調べて見ましたところ、エリザベス女王が出発したカドゥガン・ピア(アルバートブリッジ)よりもう少し上流、現在バッターシー橋が架かっているあたりであることがわかりました。ボーフォート・ストリートには、ローマ・カトリック教会Chapel of the Most Holy Sacrament and Saint Thomas More Roman
Catholicが現在あり、トマス・モアはすぐ近くに住んでいたという解説がありました。一方、もう少し下流のオールド・ストリートにある英国国教会のオールド・チャーチにも、トマス・モアが礼拝に通うために建造した建物(消失)があります。ですから、トマス・モアの居館は、このあたり(つまり、チェルシーフラワーショーの開催地より少しだけ上流のあたり)にあったことになります。
さらに余談になりますが、先ほど説明しましたオールド・チャーチの向かいにはRopers Gardens(ローパーズ・ガーデン)があります。少し窪地になった小さな公園です。これは、もともとトマス・モアが娘に譲渡した土地の一部でした。娘の結婚した相手がWilliam Roperで1521年のことですから、公園の名称はそこに由来するのでしょう。窪地になっているのは、第二次大戦のロンドン大空襲により生じたものです。さらにこの公園には、桜(ancient cherry tree)が日本の柔道家、イギリス柔道の父
(the Father of British Judo)、小泉軍治を記念して植樹されているようです。Google Mapの最新版のストリートビューで、この公園の周囲を鮮明に観察できるのですが、残念ながら、桜の花の時期の撮影ではありませんので、どの木なのかは確認できませんでした。