2013年9月11日水曜日

ヘンデルとバッハ

バロック音楽の歴史の中に、ヘンデルとJ.S.バッハを埋め込んでいくのは、簡単そうに見えるが、それほど簡単ではありません。一つには、音楽史の視点をどこに置くのかについて明確な意識を持っていないと、視点、論点がぶれてしまうという問題点があるからです。一般の歴史で言えば、歴史をある特異な事象や人物の行ったことをつなぎ合わせていく視点でみるのか、それとも、民衆の生活の変化でみるのかで、歴史の見方は随分変わるはずです。
音楽史においても、ある時代の平均的なというか、発信者(作曲者、演奏者)と受容者(聴く人)の間で共通認識のあったその時代の音楽を明らかにし、その推移を見ていくという立場と、時代を画する画期的な作品や作曲家の音楽を検討するという立場とでは明らかに「音楽史」の様相が異なります。
バロック音楽については、それらの点を後でゆっくり検討することにします。

ここでは、軽い話題を2つ:
ヘンデルとJ.S.バッハは接点があまりないと言われています。「ヘンデルがドイツに里帰りした際に、バッハが訪問したがもう出発した後であった」というエピソードは有名ですね。
しかし、二人には、妙なところで接点(本人たちの意図していない共通点)があるのです。
まず「娘婿」の1件です。
J.S.バッハは、1705年に当時オルガニストの権威とされたブクステフーデの音楽を勉強するため、リューベックに向かいます。ブクステフーデはバッハの才能を高く評価し、娘(マリア・マグダレーナ;30歳)と結婚して自らの後継者となるようにと提案します。当時20歳であったバッハにとっては、魅力的な申し出だったでしょうが、お断りしています。実は、ブクステフーデは同じような提案を2年前にヘンデルともう一人に対しても行っていたのです。この3人がどうして断ったのかについては、それぞれの事情があるでしょうが、ブクステフーデの娘を何とか幸せにさせてあげたいという親心が見えてくるエピソードです。
もう一つは、二人の「死」の原因です。
視力が低下したJ.S.バッハは、イギリス人眼科医ジョン・テーラーJohn Taylor (1703–1772)の手術を受け、経過が思わしくなく死に至りました(1750)。この同じジョン・テーラーが1758年の夏、ヘンデルの眼の手術を行い、同じく失敗が遠因で死亡しています。このジョン・テーラーという人物は、若いころには確かに眼科医としての実力はあったようですが、後になって自分で「高名な眼科医」と名乗って欧州各地で手術をしては早々に雲隠れするというスタイルをとっていたようです。ちょっと結膜を切開して、「7日間眼帯をつけたままでいなさい」と指示しました。7日後に患者が失敗に気が付いたころには、本人ははるか遠くに逃げていたようです。


人生の重要な2つの節目に、二人には奇妙な共通点があったのです。

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