2014年6月7日土曜日

ウィーン古典派の弦楽四重奏:ハイドンとモーツァルト

ハイドンは、フュルンベルク男爵の要請で作曲した逸話を引き合いにだして、「弦楽四重奏曲を“発明”したのは自分である」と語っています。自らのことをあまり押し出さない印象のあるハイドンにしては、強い表現です。つまり、ハイドンは、その場に居合わせたヴァイオリン2丁とヴィオラ、チェロの4人の演奏者で合奏できる作品を手がけたことをもって、弦楽四重奏曲の誕生を宣言しました。様々な情報を総合すると、1757年頃のことになります。
しかし、弦楽四重奏曲の創始者をハイドンに求めるのには、異論があると思います。弦楽四重奏曲というジャンルを、ハイドン以前にすでに複数の作曲家が試みているからです。A・スカルラッティを始めとするイタリアの複数の作曲家がチェンバロ伴奏を持たない四重奏曲を作曲しており、中でもサンマルティーニは、ドイツ語圏の作曲家にも影響を及ぼしたという点で重要です。その中には若いモーツァルトも含まれていました。
ですから、弦楽四重奏曲は、一人の作曲家にルーツがあるというよりも、バロック末期から前古典派にかけて、複数の作曲家によって同時多発的に形成されたと考えるのが適切でしょう。
しかし、創世記の経緯がどうであれ、私たちが現在持っている「弦楽四重奏曲」というもののイメージから考えれば、ハイドンが古典派時代の弦楽四重奏曲の形成と深化に大きく寄与したという点で、彼の貢献には多大なものがあります。その意味では、交響曲のみならず「弦楽四重奏曲の父ハイドン」とも呼ぶにふさわしいものです。同時に、モーツァルトの弦楽四重奏曲も重要な意義を持っています。
そこで、ハイドンとモーツァルトに焦点を絞ってウィーン古典派の弦楽四重奏曲の流れをまとめてみます。

ハイドンとモーツァルトの弦楽四重奏曲の流れ


ハイドンは当初、ディヴェルティメントを弦楽四重奏曲の作品構成の基礎としていたようです。初期の作品群では、2つのメヌエット楽章を持つ5楽章構成にしていたことから推定されます。その後作品91771年;6曲)で4楽章構成になり、作品201772年;6曲)では、対位法や変奏曲形式の導入など作曲技巧上の様々な工夫を盛り込み、ハイドンの弦楽四重奏曲の作風の確立と一つの頂点を達成しました。
一方、モーツァルトが弦楽四重奏曲の最初の作品(K.80)を作曲したのは、1770年(14歳)、第1回イタリア旅行の途上のローディの宿屋においてです。さらにK.155からK.160までの6曲が、「ミラノ四重奏曲」と呼ばれるように、翌年の第2回イタリア旅行中に作曲されました。この間の作曲にあたっては、前述したサンマルティーニを始めとするイタリア音楽、具体的にはシンフォニアからの影響が強く感じられます。楽章構成もこの6曲では「イタリア・スタイル」の3楽章構成になっています。

このように、弦楽四重奏曲に至る道筋において、ハイドンはディヴェルティメントから、モーツァルトはイタリアのシンフォニアから出発したと考えられます。そして、ハイドンの弦楽四重奏曲の高みに至った作品331781年;6曲)に刺激を受け、モーツァルトが「ハイドン四重奏曲」(ハイドンセット)を作曲することで、両者の流れが一つに合流したものと考えられます。その後両者は、自らの作風を高めながら、古典派の弦楽四重奏曲をさらに発展させて行きました。

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