マルティン・イ・ソレール(1754
– 1806)
スペインのバレンシア生まれ。イタリアに留学し、主に舞台音楽(歌劇やバレエ音楽)を作曲しました。1785年にはウィーンに移り、ダ・ポンテの台本に作曲した以下の3つの作品
椿事(ちんじ)Una cosa rara(ウナ・コーサ・ララ)(1786)
ぶっきらぼうな善人 Il burbero di buon cuore (1786)
ディアナの樹 L'arbore di Diana (1787)
がウィーンで大成功を収め、一躍国際的にも有名となりました。
1788年にロシア宮廷に招かれ、そこで作曲活動を続けましたが、1806年にサンクトペテルブルグで死去しました。
ウィーン時代(1785-1788)が彼の作曲家としてのピークであり、それはまた、モーツァルトのオペラ作曲家としてのピークとも重なります。
椿事 Una cosa
rara(ウナ・コーサ・ララ)
【成立事情】
2幕の作品。デ・ゲバラの戯作をもとにダ・ポンテが台本を作成し、1786年11月17日にブルク劇場で初演されました。同年5月1日に初演されたモーツァルトの「フィガロの結婚」は10回に至らずに取りやめになりましたが、この作品は熱狂的に受け入れられ、連日満員だったようです。
初演の際にヨーゼフ2世は、フィナーレに近い曲であるデュエット"Pace, Caro Mio Sposo”のアンコールを所望し、その後しばらくは、街中でこの曲を口ずさむ人が現れたり、登場人物の服装がファッションとして流行したりしました。
あらすじを一言で言えば、いかのようになります:
15世紀スペイン。スペインの王子ドン・ジョヴァンニが貞淑な女性リラを誘惑しようとする。リラはルビーノと婚約しているため拒絶する。女王(ドン・ジョヴァンニの母)が事情を知り、リラは愛するルビーノと結婚できた。
ここで、ドン・ジョヴァンニは、モーツァルトのドン・ジョヴァンニと同一人物ではありませんが、いわゆる「ドン・ファン」伝説という点では、共通する戯作の特徴的なキャラクターなのでしょう。
この作品が人気になったことは、モーツァルトも認めていまして、モーツァルトのオペラ「ドン・ジョヴァンニ」では第二幕のフィナーレの直前に、ドン・ジョヴァンニとレポレッロが晩餐会の準備をしている場面に、このUna cosa raraが登場します。
楽師たちは、3つの曲を演奏します。その最初に出てくるのが、ソレールのオペラ「椿事 Una cosa rara」の第1幕のフィナーレ“O Quanto Un Si Bel Giubilo”です。メロディーが聴こえ始めますと、レポレッロが「cosa rara」と曲名を示しています。
聴衆の記憶にあることを前提に、この作品を引用していることになります。Una cosa raraの楽譜を見たのか、モーツァルトの天才的な聴音の才能であったのかは不明ですが、小アンサンブルに編曲はされているものの、原曲がかなり長い小節にわたって再現されています。
Part 3では、この作品の音楽上の特徴を探っていきます。
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