Richard Egarr率いるThe Academy of Ancent MusicがJ.S. バッハのマタイ受難曲を録音しました。この演奏は、多く演奏されている版ではなく、1727年の初演版を再現したものです。
この演奏は、1年前に同じく1724年初演版を再現して演奏したヨハネ受難曲と対になったものと考えることができます。
バッハの2つの受難曲ですが、受難曲の歴史の中で2つとも重要な意義を持つものです。
イエスの受難をテーマに福音書と自由詩を組み合わせて演奏する試みが始まったのは、1705年のハンブルクが最初でした。そして、1712年にブロッケスが自作の詩をもとに受難曲の歌詞の1つのスタイルを確立しました。そしてその歌詞をもとに新たな曲をつけたのがテレマンのブロッケス受難曲です。テレマンの受難曲の演奏にあたっては、当初予定していた演奏会場からより収容人数の大きい場所へと変更し、それでも聴衆が押しかけたと伝えられていますので、一般の関心が極めて高かったのでしょう。
受難曲が純粋な宗教曲なのか、それともそうではないのかについては慎重に考える必要があります。宗教の立場からは、教会の中にオペラ的要素が入り込むのには抵抗がありましたし、一方で、プロテスタント諸派の宗教がその都市の行政と密接な関係があるという当時の状況では、その都市で受難曲が演奏されることで、都市の名声を高めるという意味もありました。
従って、受難曲は、宗教性とオペラのような劇的性格の微妙なバランスの上に成立しているといえます。
一方、啓蒙思想の雰囲気の中にあった市民にはどのように受け止められていたかともうしますと、それを象徴する出来事がありました。
1719年にハンブルクの作曲家マッティソンが、ブロッケスの台本をもとに作曲された4つの受難曲(カイザー、ヘンデル、テレマン、マッティソン)の一挙上演を行ったのです。ヘンデルの受難曲が2時間半、テレマンのものが1時間半演奏時間がかかりますので(この2つだけでも4時間!)、カイザーとマッティソンのものも加えれば、総演奏時間は休憩時間も含めれば、8時間以上にはなったものと思われます。1日で演奏したのかそれともそれぞれ日を分けて演奏したのか不明ですが、これは、作曲家の作曲スタイルを比較することに明らかに重点が置かれており、宗教的な目的とは少し離れています。つまり、意識の高い市民が、音楽そのものを鑑賞し評価するような時代になったことを示しています。
さて、バッハが音楽活動を行ったライプツィヒでは受難曲の本格的な演奏はハンブルクよりも少し遅れました。
1724年に初演されたヨハネ受難曲は、ブロッケスの台本を基本に手を加えたおものです。既存の台本をもとにしたのには様々な事情があったのでしょう。しかし、重要な変更も行っており、テキストや音楽においてヨハネ受難曲の偉大さを損なうものでは全くありません。
一方、その3年後に初演されたマタイ受難曲はバッハ自らが台本を含めて構想したものであり、その意義は極めて高いものです。
注:バッハはライプツィヒ以前にも受難曲を手がけていますが、現存しておらず、その中身について論じることができません。
ヨハネ受難曲もマタイ受難曲も何度か再演されており、その度にいくつかの修正が行われています。そのため、初演の演奏を、同じ演奏団体、指揮者で聴くことができるのは、とても有意義なものと思います。じっくり聴き込む価値があります。
ところで、マタイ受難曲のこの1927年初演版の演奏と一般的な後の改訂版による演奏とはどう違うのでしょうか?
Egarrのこの演奏を他の演奏と比較してみました。ここでは第1部のみに限定します。
- 冒頭のコラールKommt, ihr Tochter, helft mir klagenではコラール定旋律(リピエノ)が、一般には少年合唱により歌われますが、Egarr版では演奏されず、オルガンの旋律のみとなっています(オルガンは一般に使われるポルタティフオルガンではなく、8 ft principalと8 ft gedactも備えた、室内オルガンとなっています)
- 一般には第8曲、Egarr 版ではCD1, Track12のソプラノソロBlute nur, du liebes HerzのFlauto traverso I,IIがありません。
- Coro IのHerr, bin ich's?の弦楽伴奏(Vn I, II, ヴィオラ)が演奏されない。つまり合唱+通奏低音(オルガン、チェロ、コントラバス)
- 第1部終曲、改訂版による演奏では壮大なコラールO Mensch, Bewein' Dein Sünde Grossが、小規模なコラールJesum lass ich nicht von mirになっている(楽譜を以下に書き出しています)。
合唱譜から私が再構成したもの。正確さは保証しません。 |
(その他にも歌詞や細かな旋律で改訂版とは違っているヶ所がいくつかあります。)
一番目立つ特徴は、第1部終曲がO Mensch, Bewein' Dein Sünde Grossではないことでしょう。1736年ころの改訂楽譜で、簡素なコラールJesum lass ich nicht von
mirが壮大なコラールO Mensch, Bewein' Dein Sünde Grossに変更になったようです。マタイ受難曲を聞き慣れている人にとって、第一部の終曲が大きく異ることは違和感を感じるものでしょう。
実はO Mensch, Bewein' Dein Sünde Grossは1725年のヨハネ受難曲、第2稿では冒頭合唱曲として導入されたものであったようです。ヨハネ受難曲の冒頭がHerr, Unser Herrscherではなかったというのも、それはそれでしっくり来ません。
そうそうたるソリストが出演しています。ソプラノとイエスのドイツ語の発音には違和感がありますが、多くのマタイ受難曲を聴いている人々には、様々に新たな発見のある演奏です。
なお、この演奏ですが、CDの他に、e-onkyoなどからHigh Resolution版を購入することが可能です。
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